03. その肩で
夢うつつ


うつら、うつらと疲れた身体が船をこぎ始めたのは、穏やかな陽射しが包み込む午後のことだった。
譜面を読んでいたはずだった。CDを聴きながら譜面を読んで弾いてた時に感じてたことを書き込んで、その繰り返し。
でもこの暖かさには負けたらしく、日野香穂子はうつら、うつらとぼんやりした視界を閉じるか否かずっと考えていたのだった。
ああ、すっごく眠いなぁ。
ここ数日音楽のこととそれ以外のこととで気持ちが揺れていた分、あまりちゃんと眠れていないこともあって、余計に眠気が襲っていた。
ああ、もうなんか、いっかなぁ。
何がと言う問いを冷静な頭が問いかけつつも八割方香穂子の頭は眠さに負けていて、そっと瞳を閉じて夢の世界へと旅立った。
それが、休日の温かな午後の昼下がりの屋上での話。
本来ならほぼ誰も来ないはずの屋上だったのに、香穂子以外の姿があるなど想像してもいなかったのである。

「んー、さてと。どうしよっかなー。トランペット吹くかなぁ」

独り言を呟きながら火原和樹が屋上に姿を現したのは香穂子が夢の世界へ旅立ってから十分ほど時間が経った頃のことだった。
トランペットケースを抱えてもう片方の手には譜面を持って、オケ部の練習を終えた火原はんーっと伸びをした。
秋の風は少し冷たいが今日は陽射しも暖かく、心地良い温度が火原を迎えてくれた。
さて、と火原は辺りを見回して音が響いて良さそうなところを探していると一つの影を見つけ、火原は恐る恐る近づくとそこにいたのは見慣れた少女の背中があった。

「え、日野ちゃん?」

火原としても驚きを隠せないのだが、何よりもその香穂子がベンチで寝ていることにびっくりする。
疲れてるのかな、と思いながら火原はうつら、うつらと船を漕ぐ香穂子を見ていたのだが、小さく揺れてた船が大きく揺れるのを見ると慌てて火原は香穂子の身体を抱き留めた。
ふぅ、と大きく息を吐いて考える。トランペットケースを持ちつつ、楽譜も持ちつつであるため、香穂子を支えるには体勢が悪い。
火原はゆっくりと香穂子の身体を元の位置に戻してゆっくりとベンチに座った。持っていたトランペットケースをベンチの端に置いておく。
暫くトランペットは休みかなぁと思いながら片方の手にあった譜面を見ることにした。

「心臓に悪いよ、日野ちゃん」

苦笑しながらも香穂子の寝顔を見つめながら火原の頬は自然と緩む。譜面をしっかりと持ちながら寝ているあたり、香穂子らしかった。
書き込んである楽譜を見ると自分のことだけではなく、他の人の音の入る位置なども書き込んである。
人よりも音楽の知識には乏しいし、もっと頑張らなきゃいけないんですと言っていた香穂子の横顔が脳裏を過ぎった。

「頑張りすぎるくらいだよ」

おれも負けてられないよなぁと思いながら火原は小さく息を吐いた。

「そんな日野ちゃんが好きだけどね、おれは」

香穂子だから助けたいと思う。好きだから支えになりたい、そう思うならやるべきことは決まっていた。

「おれも頑張らないと」

何も書き込んでいない譜面に鉛筆で気をつけるべきところや、息継ぎをする箇所を書き込んでゆく。
まだまだやることはたくさんなのだからと火原は意気込んで香穂子を再び見つめると目を細くした。


どれくらいの時が経ったのだろうか、香穂子ははっと目を覚ましてぱちぱちと瞬きを繰り返した。

「私、寝てた!?」

いけない、無駄な時間は作らないって決めてたのにとがっくり肩を落とすと、何やら自分の肩に重いものがあることに気づいてゆっくりそれを見遣った。
驚いて思わず口を開くも声を出しかけた唇が再びきゅっと閉じる。
香穂子の肩に火原の頭が寄りかかっていたのだ。しかも寝入っている。どうりで肩が重いなぁと思いつつもう片方の肩に火原の腕がしっかりと寄せられていることに気づくと、初めて自分のこの体勢がすごいものだと気づいた。
(ど、どうして!?)
ある意味抱きとめられていることに驚き、青くなりつつもその顔はだんだんと赤に染まり始めた。
好きな人がこんな傍にいる機会など滅多にない。いくら火原は香穂子の気持ちを知らないとはいえ、こんな間近で見られる機会もないのだから半分役得であり、半分心臓に悪いとひやりと汗をかく。
火原も色々と疲れているんだろうなと思う。CMのこと然り、受験勉強のこと然り、精神的に疲れるようなことが沢山あるんだろうな、そんな時にいつも頼ってごめんなさいと思ってしまう。
でも頼らせてくれる火原がやっぱり好きだった。
どうしよう、この体勢と思っていると火原が気づいたのか、「ん・・・?」と瞼がそっと上がった。

「火原、先輩?」

掠れた香穂子の音に火原はぱちりと目を開いて間近にある香穂子の顔を見つけ、驚きのあまり「うわ」と声を挙げた。

「ご、ごごごごごごめん!!」

「い、いえ、私のほうこそすいません!」

「いや、おれの方が悪いって!ごめんね!本当は日野ちゃんの隣に座ってるだけだったのに、倒れそうになってたからって寄せちゃって、苦しかったよね!?」

ああ、なるほどこの体勢はそういう意味だったのかと香穂子は納得した。火原の優しさに香穂子の頬が綻ぶ。
首を横に振りながら「違うんです」と火原を見つめた。

「ドキドキはしたけど、嫌じゃなかったですよ。むしろ・・・・・・」

「むしろ?」

言いかけた言葉を止めた香穂子に火原は首を傾げた。香穂子の頬はだんだんと紅く染まりつつある。
何、言おうとしてたのよと自分に突っ込みながら、でも言葉を求める火原に香穂子は困惑の表情を浮べた。

「わ、笑いませんか?」

「笑うことなの?」

逆に聞き返されて香穂子は穴があったら入りたい気分だった。でもなぜか逃げられない空気がそこにはある。
逃げてしまいたい。
でも、逃げたくない。
気づいて欲しい。
気づいて欲しくない。
気まずくなりたくない。
だけど。

――――知って欲しい。

ぽん、と背中を押されたような気がした香穂子の唇からはぽろ、と言葉がこぼれ落ちる。

「・・・・・・嬉しかったんです」

「え?」

「隣にいたのが、支えてくれたのが火原先輩で嬉しかったの」

それだけです。ふい、と香穂子は視線を逸らす。真っ赤になっている耳を見つけて火原はああ、そうかとやっと意味に気づいた。
その想いは独りよがりじゃなかったことに。

「おれは・・・・・・おれは、日野ちゃんだからしたんだよ」

「・・・え?」

逸らしていたはずの香穂子の視線が火原へと戻った。ぽかんと口を開く香穂子に火原は言葉を重ねる。

「日野ちゃんじゃなきゃしないよ・・・好きな子じゃなきゃ、しない」

「火原、先輩・・・・・・?」

今、何てと香穂子の唇が音にならない音を作る。
火原は小さく笑いながら香穂子の耳に顔を寄せて言葉を紡いだ。

「おれは誰にでも優しいわけじゃないよ。日野ちゃんだから、おれの好きな子だからしたかったんだ・・・・・・おれは、日野ちゃんが好きだから」

耳元で囁くと火原はゆっくりと香穂子から離れる。香穂子の瞳には大きな雫が溢れていたのが見てとれた。

「私・・・・・・ずっとずるいな、いいなって思ってたんです」

「何が?」

ぽろ、と香穂子の大きな瞳から粒がこぼれ落ちた。

「火原先輩、誰にでも優しいから。そんな火原先輩に恋をした人がいいなって思ってた」

「おれは、そんなに優しくないよ」

「ううん。優しいの。だから私もその優しさを貰う一人で、その優しさはずっと変わらないんだと思ってたんです」

「日野ちゃん・・・・・・」

自分だけじゃないその優しさは時に香穂子を苦しめる。特に火原への気持ちが強くなっていた最近は見ているのが辛かった。
自分にこんな気持ちがあったのかと思うくらいに心の奥に占める気持ちが綺麗なものだけじゃなくて、時々泣きたい時もあった。

「私・・・火原先輩が好きです」

ずっと傍にいたいと思うのは火原だけだ。それ以外に何もいらない。

「おれも・・・日野ちゃんが好きだよ」

少し冷えた風が二人の間をすり抜けてゆく。火原は香穂子の背中へ手を伸ばして抱き寄せた。
香穂子もまた火原の背に自分の手を伸ばして抱き締め返す。

「大好きだよ、日野ちゃん」

「私も大好き」

くす、と笑いながらあたたかな想いに触れる。
火原も香穂子も傾き始めた太陽に気づきつつもまだこのぬくもりを手離したくなかった。
長かった片想いに終止符を打った今日。
もうすぐ訪れる冬と言う季節が訪れようとしていた風は寒いはずなのに、あたたかい気持ちが二人を包み込む。
夢から現実へ。
醒めたはずの夢がまだ続いているような錯覚を覚えていた。




*あとがき*
両想い編です。お互いの片想いの時期があって両想いになる、王道ですがそれが一番好きです。今までとはちょっと違った告白の仕方を目指したんですけど、あれ、シチュだけかしら?(苦笑)二人がくっついた時期はクリスマスコンサートの準備期間始まったくらいで、晩秋です。最近はあたたかいのでちょっと季節を秋っぽくしてみました。そう言えばアンコール時期でくっつく話は書いてないんだなぁと気づく私です。今度書きたいなーなんて。
タイトルはシュガーロマンスさんから頂きました。